2024/01/29 09:09
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こちらの記事は写真集制作にあたり、クラウドファウンディングを行った際に書いた活動報告です。
Ready for(クラウドファウンディングのサイト名)に載せていた活動報告ですが、勿体無いのでここのブログにも記録として残しておきたく、ここに残します。
ーーーーーReady for(クラウドファウンディングのサイト名)に載せていた活動報告ですが、勿体無いのでここのブログにも記録として残しておきたく、ここに残します。
2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、三上義弘さんは、石巻市内の自宅が床上浸水する被害に遭われました。
自宅の応急処置がひと段落した5月、かねてから氏子総代を務めていた金華山黄金山神社を訪れ、執り行われた祭事にお見舞いを兼ねて参列したそうです。
参列者は三上さん一人でした。そこで、金華山の被害と惨状を目の当たりにした三上さんは、神社職員と一緒になって、復旧作業を担うようになりました。
かつて建築金物を取扱う商店を営んでいた三上さんは、ガラスやサッシのほか、トタンなどの板金に詳しかったこともあり、三上さんが復旧作業に頼られるのは必然でもありました。
その後、私達も含めたボランティアの支援が入るようになって以降、ボランティアは入れ替わり立ち替わり替われども、三上さんはいつも復旧作業に携わっていたように思われます。
自宅と行き来はしていたものの、相当な頻度で金華山の復旧作業に携わっており、だからこそ大半のボランティアは、いつでも穏やかで腰の低い立ち振る舞いも含め、三上さんの存在を象徴的に認識していたのだと思うのです。
ボランティアで関わった人たちの中から、自分で貯めた貯金箱をわざわざ三上さんにといって届けにくる人もいました。
子供が産まれたといってわざわざ三上さんに会いに来る人もいました。
耳の遠い三上さんにわざわざ補聴器を買ってくる人も。
こういう人達があらわれるのは、三上さんの人柄を見知って、何か琴線に触れるものがあるからにほかなりません。
今回私達が作成する三上義弘さんの写真集は、被写体の多くは金華山に生息する鹿や猿たちであり、三上さん自身の人柄を主に表現するものではありませんが、三上義弘さんの人となりの一端でも垣間見えるものにできたらという願いを込めて作成します。
これまで金華山の復旧作業に携わった延べ7000人以上のボランティアはもとより、金華山あるいは黄金山神社をこよなく愛する多くの人に写真集を届けられたら幸いです。
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Rokkaku Project All Rights Reserved.
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