2024/02/05 15:18

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こちらの記事は写真集制作にあたり、クラウドファウンディングを行った際に書いた活動報告です。
Ready for(クラウドファウンディングのサイト名)に載せていた活動報告ですが、勿体無いのでここのブログにも記録として残しておきたく、ここに残します。
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「霊島金華山の鹿たち」(仮題)の編集が最終段階に入っている。
編集を担当する私たちは、収録される50枚以上の白黒写真は何十回、何百回と見てきたけど全く見飽きることがない。

それらは作品と呼ぶには、あまりに自由で、記録と呼ぶには、あまりに情に溢れている。

そこにあるのは三上義弘という人が鹿や猿とともに暮らした日々の、家族写真のようなプライベートな世界だ。
そこには、本物の家族のような、誕生や慈しみ、じゃれあいや闘争、成長と老いといった命の営みが綴られている。
そのすべてを見つめているのはレンズの焦点にある好奇と愛情に満ちた三上義弘のまなざしだ。
それは、鹿や猿にとどまらず、木や草や崖や波など、あらゆる命とそれを取り巻く自然の変化に対して、もれなく注がれている。

金華山という決して大きくない島に、長くその身を置いていながら、不思議なことに三上の写真には金華山黄金山神社の荘厳な社殿と境内とそこに暮らす神職や、訪れる信徒や観光客の姿は全く写されていない。
おそらくそれ等はすべて三上にとっては客体であり、自身を含む鹿や猿が主体であったからだろう。写真は通常、主体が客体をとるものなのだが、三上は鹿や猿を自分と同じ主体と捉え、自らの命を撮るようにそれらを追い続けたのかもしれない。
人は通常自分自身を撮るすべを知らないから、被写体を通して自らの存在を写し取ろうとする。
しかし、三上の写真の持つ不思議さは、あたかも鹿が鹿や猿を撮っているようにしか見えないことにある。
表題の「・・・鹿たち」には撮影者自身も含まれている。

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